R大器晩成

日々感じたこと、考えていることを毎日1記事にして出していきます。誰かの為になれば幸いです。

爺ちゃんは黄金世代を生き抜いた

亡くなった爺ちゃんの話

うちのじいちゃんは強かった

地域の相撲大会では何度も優勝していた

僕は相撲をしているじいちゃんを見たことはないが、実家の神棚に飾ってあるじいちゃんのふんどし姿はとても勇敢で誇らしい

 

小学生時代

僕とおじいちゃんは同じ部屋で寝ていた

普通はとうちゃんや母ちゃんと一緒に寝るのが普通だろうがうちはそうではなかった

ばあちゃんが亡くなるのが早かったため、じいちゃんは早くに1人になってしまった

きっと寂しいだろうと、僕は小学校から中学校までずっとじいちゃんの隣で寝ていた

じいちゃんのいびきがうるさかったり、部屋中にオナラの匂いが滞り息ができないほど臭かったりしたが、それはそれでいい思い出だ。じいちゃんはとても体格が良く、足もでかかった。いつもじいちゃんと足の大きさ比べあいをした。じいちゃんの半分にも満たない僕の足はまだまだ小さかった

 

高校時代

僕は野球に没頭した。じいちゃんは頑張る僕を好きでいてくれた。応援に来てくれて嬉しかった。ほんとに感謝している

 

市内での生活

高校卒業すると僕は市内の専門学校に進学することになった。両親ともじいちゃんとも姉ちゃんとも離れて暮らすことになった

僕が実家を離れてからじいちゃんは個室で1人寝るようになった。実家を離れるときじいちゃん1人で寝ることになるんだ寂しいだろうなと感じたのを覚えている。 

 

専門学校を卒業し、社会人になった

新社会人になってまもなくじいちゃんが入院した。両親から大きな病気である事は聞いていた。なかなか実家に帰れず、昔みたいに会う機会が減っていた僕は市内の病院に転院してきたじいちゃんを毎日のように見舞いに行った

当時原付しか持っていなかったので片道20分位の距離を原付で向かっていたの思い出す

見舞いに来た僕を、爺ちゃんはいつも笑顔で迎えてくれる。話してる途中に笑いながら急に入れ歯が取れたりしたときは2人で声を出して笑った。昔みたいに大きな身体はなくなっていたけどじいちゃんはいつまでも優しかった。外出がなかなかできないので、僕が面会に来たときは、車椅子利用して病院の外を散歩したりした。その時2人で撮った写真は一生の思い出だ。あれは確か桜が舞っていたので春だった

 

入院半年ほど

じいちゃんが市内の病院に入院して半年ほどじいちゃんから離れて市内で暮らしている間じいちゃん孝行ができなかった分、じいちゃんにたくさん会いたかった。仕事前の朝一で面会に行ったり、夕方面会時間ギリギリで会って注意されたり、たまには仕事の日をすっかり忘れててじいちゃんに会いに行ってたら職場から電話がかかってきたこともあった。毎日じいちゃんに会って話すのが楽しかった。半年間ずっとじいちゃん孝行させてくれてありがとう

じいちゃんがこの世からバイバイした時めちゃくちゃ寂しかった、たくさん泣いたしじいちゃんがいなくなってお父さんお母さんが大丈夫かなって思ったりもしたけど今はお父さんお母さんお姉ちゃんみんな元気にしてるよ

じいちゃん孝行させてくれて本当にありがとう

 

あれから

今日地元の爺ちゃんの後輩から話を聞いたよ。じいちゃんは酒好きでいつも出歩いてたってね。地元で地域を盛り上げるために一回り下の後輩からの要望にも答えて地元のお祭りやイベント事はとっても背中を押してくれたって聞いた。じいちゃん達の世代は黄金世代だって言ってたよ。じいちゃんはまだこの世でみんなの心の中に生きてますね。そういう話を聞いて嬉しかった

 

黄金世代エースの爺ちゃん

 

かっこよすぎ

 

大好きだ爺ちゃん!

 

今日は久しぶり爺ちゃんの事思い出して感情が高まったから綴らせてもらいました。

 

では今日の素敵な1日に感謝します